日記の検索 [タグ:写真未投稿 北海道東部 山行記録] 01~07(07件中)

春の知床岬

ふ~ちゃん
目的
1992/春合宿 知床岳知床岬縦走
日程
1993年03月18日(木) - 25日(木)
山域
知床連峰

行程

1993-03-18
室蘭~釧路 C-1
1993-03-19
C-1~羅臼~岬町 C0
1993-03-20
C0~海岸~ウナキベツ川~Co550 C1
1993-03-21
C1~知床岳~B.C C2
1993-03-22
C2~知床岬 C3
1993-03-23
C3~停滞 C4
1993-03-24
C4~ウィーヌプリ~ペキンの鼻~ペキン川 C5
1993-03-25
C5~羅臼~釧路

メンバー

C.L
いぐ
S.L
おやぶん
M
ふ~ちゃん
E
サイガ
G
レインマスター

1993年03月18日(木)

朝一の汽車で、青春18切符を使い出発。苫小牧手前で、いぐちさんが、重要な装備である、金デポを忘れたことに気づく。いぐちさん一人で取りに戻り、我々だけ先に行くことにする。いぐちさんは特急を使い、何とか終点釧路にたどり着く。バスターミナルの横の駐車場に幕営させてもらう。しかし、釧路は遠い。なんとこの日、C-1(きゃんぷまいなすいち)である。

1993年03月19日(金)

釧路からバスを乗り継いで、羅臼へ向かう。羅臼の食道で昼飯を食べていると、何か我々が貧相に見えたのだろうか、その店の店主が魚の干物を差し入れしてくれる。

とにかくバスで行けるところまで行く。山から吹き下ろす風の中、とぼとぼと終点相泊を目指していると、たまたま通りかかった軽トラに乗ったの漁師のおじさんが、荷台に乗せて目的地まで送ってくれる。ありがたいが、猛烈に寒い。相泊に到着すると、天候はますます酷くなる。我々がどうしようかと考えあぐねていると、おじさんが、「オレの家の物置に泊まってけ」と奨めてくれる。あまりにも恐縮なお誘いだが、図々しくお言葉に甘えることにする。

おじさんの家で、ビールや夕食をご馳走になって、物置に案内してもらう。物置と言っても、漁師の大きな倉庫で、ヒーターまで焚いてもらい、十分に暖かい。積み重なったコンブの横でありがたく寝かせてもらう。

1993年03月20日(土)

タイムレコード
時刻場所行動
06:00出発
07:45相泊
15:00Co550C1

あさ、昨日と同様に軽トラの荷台に乗っけておくってもらう。何から何まで至れり尽くせりで恐縮しきりである。1日待ったおかげで、人気は快晴。風もなく海も穏やかで、海岸歩きには抜群のコンディションだ。

観音岩まで、薄く積もった雪を利用して、スキーを使っていく。観音岩の急なルンゼを登り、細引きでスキーを引き上げて越える。すぐ先のウナキベツ川に入る。側壁が切り立った狭いさわのなかを、何度か渡渉をした後、尾根に取り付く。疎林の急斜面をジグを切って登るが、ほどほどに積もった雪が崩れ落ちそうで怖い。

ポロモイ台地直下の窪地に幕営する。

1993年03月21日(日)

タイムレコード
時刻場所行動
04:30起床
06:05出発
10:00知床岳
14:00B.CC2

今日も快晴。ポロモイ台地へと続く急な尾根をE.Pを効かせてよじ登る。台地に登ると、急にだだっ広い雪原が目の前に広がる。知床岳に向けてコンパスを切り、念のためデポを打っていく。どこまでも視界があるので、みな自分のペースで広がって歩く。

知床岳に近づくと、反対側から大勢の人が上がってくる。思いがけず、大賑わいのピークに到着する。お茶を沸かしたりとくつろいだ後、デポを回収しながら尾根を引き返す。台地からの急な尾根に出ると、来た時のとレース場に巨大なひび割れが走っている。出来るだけ雪崩の起きなさそうな所を選んで、そそくさと下る。

天場に戻り、外でシュラフを干したり、酒を飲んでうだうだと過ごす。夜には、シュラフに入って寝ころび、落ちてきそうな星空を眺めながら酒を飲む。

1993年03月22日(月)

タイムレコード
時刻場所行動
04:00起床
05:40出発
15:55知床C3

昨日と同じコースをたどり、ポロモイ台地に上がる。時々細くなる稜線を歩き、岬を目指す。ウィーヌプリの左をトラバースして、北へ延びる尾根を降りていく。

下るにつけ、細い灌木のブッシュが多くなり、体中のあちらこちらがひっかかり、歩きにくい。スキーも突っかかり歩きにくいが、スキーを外すと今度は締まっていない雪にずっぽりと埋まってしまう。もういやん成りながらなんとか林を抜ける。海岸の崖っぷちに出て、海岸沿いに岬を目指す。

岬の台地から、海岸に降りて幕営する。

1993年03月23日(火)

今日は1日晴天停滞とする。快晴の元、海岸の砂利の上で焚火をしたり、枝にホットケーキミックスを巻いて焼いて食べたりした。この遊びで皆の性格が出る。私は全体がこんがりきつね色になって仲間で火が通るまで、ひたすらじっと待つが、食い意地の張った人たちは我慢しきれずに、生焼けのままかぶりついたり、うっかいりさんは回すのを忘れて、片面だけ焦がしたり、ミックスを落としてしまう。

接岸した流氷に乗り、記念撮影をしたりして過ごす。

1993年03月24日(水)

タイムレコード
時刻場所行動
04:00起床
05:45出発
10:30ウィーヌプリ
15:25ペキン川C5

国後島から上がる朝日を眺めて出発。ダラダラと来た道を戻っていく。例の尾根は下りよりも登る方が楽ちんだ。ウィーヌプリは、皆が無視していく中、私だけ一応ピークを踏んでいく。ピークというか、ただの出っ張りだが・・・

ペキンの鼻まで快適に滑り降りる。ペキン川の隣にテントを張るが、外で遊んでいると、重しをかけ忘れたため、風でテントが駆け上がる。

1993年03月25日(木)

タイムレコード
時刻場所行動
05:00起床
06:35出発
13:50相泊

干潮の時間を確認しながら、海岸を進む。スキーを担いで、海岸沿いの岩場へつるというのはなかなか違和感がある。風のない穏やかな天気で助かる。これで波が高かったらとてもじゃないけどやっていられないだろう。

観音岩を越えて、海岸をひたすら歩く。相泊でタクシーを呼んで、羅臼へと戻った。

  • 日記:165
  • 2013年04月08日(月) 14:47 更新
  • 2738 閲覧
  • 公開レベル 1

やっぱり雪洞に閉じ込められて

ふ~ちゃん
目的
1993/冬期基礎訓練 旭岳
日程
1992年11月20日(金) - 24日(火)
山域
表大雪

行程

1992-11-20
室蘭~旭川 C0
1992-11-21
C0~旭岳温泉~石室窪地 C1
1992-11-22
C1~旭岳~石室窪地 C2
1992-11-23
C2~練習 C3
1992-11-24
C3~旭岳温泉 下山

メンバー

AB
C.Lいぐごとー
S.Lふ~ちゃんおやぶん
MこばPよねP
Mしみずとーの
Mさいがだっしゅ
Mのぶ

1992年11月20日(金)

タイムレコード
時刻場所行動
09:20室蘭出発
25:00旭川C0

Bパーティは、明日車でのんびり来る。我々は電車で出発。旭川で一晩を過ごす。居酒屋村さ来で出来るだけ夜中までねばる。閉店で駅に戻り、朝まで暖かいところを探して仮眠を取る。

1992年11月21日(土)

タイムレコード
時刻場所行動
07:00起床
09:30バス乗車
11:00旭岳温泉
13:00姿見駅
14:00石室窪地C1

ダラダラと出発の準備を整え、旭岳温泉に向かうバス停でバスを待っていると、見る見るうちに秀岳荘ヤッケを身にまとった学生の列ができあがる。どうやら、他の大学の山部も旭岳に訓練に向かうようである。まるで、合ワンのような光景だ。

旭岳温泉に到着すると、Bパーティが既に到着していた。ロープウェイの長蛇の列に並び、石室へ向かう。きっちりコンパスを切って、デポを打ちながら石室へ向かう。石室の横にテントを建ててC1。Bパーティの人たちはスキーの練習をしているようだ。

1992年11月22日(日)

タイムレコード
時刻場所行動
06:00起床
08:00出発
09:50Co1950シーデポ、EP着用
10:25旭岳
11:20Co1950滑落停止練習
14:00C2

今日は悪天をぬって、ピークアタック。あまりかんばしくない天気だが、この時期は贅を言っていると、とうてい登頂は無理だ。

アタック装備でピークを目指す。Co1950でスキーを置き、EPに切り替える。この時、サイガが、アイゼンを忘れてきたことが判明。いぐちさんとサイガはここで引き返すことになる。Aパーティの残りのメンバーは、Bパーティに合流する。岩場にデポを打ちながら右側を巻いていく。

結局あまり視界の効かないままピーク到着。そそくさと引き返し、シーデポ地点まで戻り、滑落停止の練習を行う。

1992年11月23日(月)

タイムレコード
時刻場所行動
07:15起床
09:00ザイル練習
14:10雪洞作成
16:10ΩC3

適当にザイル練習。手作りピケットが折れる。そのうえ、一本紛失する。午後から雪洞を掘る。良くあることだが、スコップのねじを紛失する。

例のごとく、2つの雪洞を横穴で繋ぎ、Bパーティの雪洞に集まり、大宴会を始める。あまりに盛り上がり、飲み過ぎた井口さんが吐く。困ったもんだ。

1992年11月24日(火)

タイムレコード
時刻場所行動
06:00起床
10:30姿見駅
13:15旭岳温泉下山

あさ、ライターの火がつかない。どうやら酸欠のようだ。雪ですっかり入口がふさがっている。中からトンネルを掘って外に出る。ここではこんな事は日常茶飯事なのだと悟る。デポを回収し、スキー場を滑り降りる。

  • 日記:186
  • 2013年04月08日(月) 14:38 更新
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  • 公開レベル 1

二度目のカムイミンタラも幸せの庭

ふ~ちゃん
目的
新人強化 黒岳~白雲岳~トムラウシ山縦走
日程
1992年05月29日(金) - 06月01日(月)
山域
表大雪

行程

1992-05-29
室蘭~上川 C0
1992-05-30
C0~層雲峡~黒岳白雲岳~白雲小屋 C1
1992-05-31
C1~忠別岳五色岳~北沼~トムラウシ山~北沼 C2
1992-06-01
C2~化雲岳~天人峡温泉 下山

メンバー

AB
C.LいぐこばP
S.Lふ~ちゃんしみず
MごとーよねP
Mおやぶんとーの
Mのぶだっしゅ

1992年05月29日(金) 室蘭~上川

タイムレコード
時刻場所行動
室蘭出発
上川C0

2つのミラと、電車に分乗して上川駅をめざす。小さなボディーに人と荷物がすし詰め状態はキツい。当時はまだ携帯電話など普及していない時代、無線機を使い、2台で交信する。例によって上川駅の横にテントを張る。

1992年05月30日(土) 黒岳白雲岳

タイムレコード
時刻場所行動
09:15ロープウェイ終点
09:55リフト終点出発
11:00黒岳
11:50黒岳石室
13:25北海岳
15:10白雲岳
16:30白雲小屋C1

こんなに早起きをする必要はなかったが、なにせ、田舎とはいえ、駅前なので、ちらほらと人の気配などもしはじめたので、いつまでも公共の場所でテントの中にいるわけにも行かない。天気もいいのでバスが来るまで外でうだうだと過ごすことにしよう。大雪山系が美しくそびえている。

層雲峡からは軟弱にも、ロープウェイとリフトを利用する。ロープウェイ終点ではシマリスと戯れたりして、完璧観光気分だ。ま、いっか。

程なく、雪渓が現われ、ぬるい雪面を交代でキックを刻んでいく。我々の刻んだキックを利用して、スキーヤーやら、当時はまだ珍しかったボーダーやらが追い抜いていく。すいませんとか、一言あれよ(▼▼メ)。

今年も好天に恵まれ、大雪の大展望に見とれながら白雲を目指す。白雲の外輪に着くと、そこには年に1週間見られるかどうかの、幻の湖があった。当時は、それほど幸運なこととは思わずに、「ああ、水がたまってら」ぐらいの、罰当たりな感想を漏らす。ここまで、あんまりのんびり歩いてきたもんだから、ピークで時間切れとなり、天気図の時間となってしまう。皆が白雲小屋を目指す中、私とリーダーだけ取り残され、幻の湖のほとりで天気図をとらされる羽目になる。

天気図の仕上げはほどほどに、大急ぎで既に誰も居なくなった白雲の斜面をグリセードで滑り降りる。初の白雲小屋で快適な一晩を過ごす。

1992年05月31日(日) 高根ヶ原~トムラウシ山

タイムレコード
時刻場所行動
04:30出発
07:05忠別岳
10:00五色岳
15:20北沼装備デポ
16:00トムラウシ山
16:30北沼C2

朝からちんたらやってるBパーティをほっとき、先に出発する。だって、今日は長いんだもん。どこまでも見渡せる快晴の高根ヶ原を揚々と歩く。この世の苦しみなど何もないかのごとく、静かな世界が広がる。ああ、自分はなんて幸せなんだろう。少々、もったいないくらいにサクサクとすすみ、忠別岳

あまりの気持ちよさに、ここを去りがたいので、とりあえず後発パーティがおいくつまでは、昼寝と紅茶でうだうだと過ごすことにする。お願いだから、のんびり来てね。とは言っても、今日はトムラウシ登頂が目標。ここまで来ても、その目標はあまりに遠くに見える。Bパーティが追いついても、まだまだ居たい気持ちを振り切り、楽しみは先にあることを期待して出発する。それにしても、こっちのメンバーはごとーさん、おやぶん、わたし。メンバーの性格が、行動に反映されるんだなぁ。

五色岳のハイマツのトンネルを抜け、高根ヶ原の気持ちよさには及ばずも、美しい五色ヶ原を通過。トムラ・ヒサゴ分岐のコルで休憩していると、岩場からナキウサギが出現する。みな、珍客(いや、こっちが客か)の出現に歓声を上げ、近づいて写真を撮ったり、餌をやろうと試みたりと、大騒ぎ。思わず大休止となる。

北沼で荷物を残置し、大急ぎでトムラをアタック。Bパーティが追いつくまで最高の大展望を堪能する。明日は下山するだけなので、天気図をとることもなく、のんびりとすごす。

1992年06月01日(月) 化雲岳~天人峡

タイムレコード
時刻場所行動
03:45出発
04:50天沼
05:50化雲岳
08:30Co1330
12:00見台
12:50天人峡温泉下山

2時起きで雉撃ちに出かける。東向きの斜面で、事を済ませながらご来光を拝む。パンパン。

あまりにも気持ちの良い季候が続いている。今日も快晴。化雲の岩にへばりついたりしながらのんびりと進む。しかし、化雲から先は例年通り雪渓でルートがとぎれとぎれ、あそこだ、ここだと、10m単位で侃々諤々と足を進める。結果的には、わたしの読図が正しかったわけだが。

皆ここから去りがたく、台地の最後で2時間ほど昼寝をかますことにする。紅茶を沸かしたり、雪合戦をしたりと、みな思い思いの時間を過ごす。

しっかりと体力を回復させた後、一気に下山ダッシュモードにはいる。見台からはノンストップで天人峡を目指す。当然のように、33曲りを数えるヤツ、猛然と走る続けるバカ、何度来ても、ここでやることは皆一緒だ(爆)。

結局誰が優勝したかは定かではないが、はらだっしゅのかかとが靴擦れでボロボロになって泣きそうだったことだけは覚えている。

知床半島基部を縦走

ふ~ちゃん
目的
春合宿 斜里岳~摩周岳縦走
日程
1992年03月21日(土) - 29日(日)
山域
知床連峰

行程

1992-03-21
室蘭~清里 安井邸 C0
1992-03-22
C0~Co900 B.C C1
1992-03-23
C1~停滞 B.C C2
1992-03-24
C2~斜里岳~B.C C3
1992-03-25
C3~サマッケヌプリ山~P1019手前コル C4
1992-03-26
C4~停滞 C5
1992-03-27
C5~標津岳養老牛岳コル C6
1992-03-28
C6~裏摩周~Co650コル C7
1992-03-29
C7~摩周岳~展望台 下山

メンバー

C.L
やまこしさん
S.L
よねP
E
おやぶん
M
ふ~ちゃん

1992年03月21日(土)

タイムレコード
時刻場所行動
07:00室蘭出発
16:00清里 安井邸C0

今回は実家の清里町に帰省する安井さんの車に便乗させてもらう。ずうずうしくも、C0間でお世話になり、いろいろとご馳走になる。

1992年03月22日(日)

タイムレコード
時刻場所行動
11:15林道終点出発
12:20平岳コル
13:45Co900 B.CC1

今日の行動は短いので、安井邸でのんびりしてから出発。安井さんに林道終点まで送ってもらう。

その名の通り、平らな平岳を通過し、斜里岳へと向かう尾根を探す。森林限界手前でベースキャンプを張る。

1992年03月23日(月)

タイムレコード
時刻場所行動
05:00起床
07:00停滞決定 C2

行けない天気ではないが、斜里岳は快晴でないと行かないと決めていたので、停滞。スノーモービルの音がうるさい。氏ね

1992年03月24日(火)

タイムレコード
時刻場所行動
05:00起床
06:05出発
06:45P1256
08:15斜里岳
12:10B.CC3

予定通りスカパ。ぐんと急になる尾根をぐいぐいと登る。竜神池付近はちょっとわかりにくい地形になっている。馬の背に向かって急斜面をよじ登っていく。馬の背は両側がすっぱりとキレ落ちて細い。ピークからは360度さえぎる物のない、大パノラマ。遠く国後島さえも見える。2時間ほどうだる。

下りのスキーは少々高難度。馬の背からはクラストで、スキーはほとんど使い物にならない。P1050までは細くてクラストした尾根に苦労しながらくだる。そこから先は快適にスキーでB.Cを目指す。

1992年03月25日(水)

タイムレコード
時刻場所行動
05:00起床
07:05出発
08:00Co750
12:15サマッケヌプリ山
13:10P1019手前コル Co950C4

平らな森林地帯を、バリッとコンパスだけを便りに進む。きっちりと目的地を通過し、摩周へ続く尾根へと取付く。途中、降り出した雪はサマッケヌプリまで来ると湿った吹雪となり、ずぶ濡れとなる。とりあえずツェルトをかぶって待機する。広い場所まで進み、幕営

1992年03月26日(木)

吹雪。停滞。レッツトランプ。

1992年03月27日(金)

タイムレコード
時刻場所行動
05:00起床
06:40出発
08:50標津岳
12:30養老牛岳
13:00コルC6

快晴。以外と細い尾根をとばしながらスキーイング。核心の斜里岳は終わっているので、みな余裕でおのおの楽しみながら進む。

1992年03月28日(土)

タイムレコード
時刻場所行動
05:00起床
06:40出発
11:20裏摩周展望台
15:00Co650コルC7

ミニ日高とかいわれているらしい所など通過し、尾根を下る。林道へ出て、国道を通過、裏摩周展望台まで道に沿って進む。こうなると、もう登山という気はしない。

1992年03月30日(月)

タイムレコード
時刻場所行動
05:00起床
06:10出発
06:50摩周岳
08:00C7地点
11:30第一展望台下山

摩周岳にアタック。カムイシュ島は湖が凍結しなかったためあきらめる。だんだんと人の気配を感じながら、摩周第一展望台へ到着。ようやく長い山行に幕を下ろす。

ニセイカウシュッペ山

ふ~ちゃん
目的
冬合宿 ニセイカウシュッペ山往復
日程
1991年12月22日(日) - 26日(木)
山域
大雪

行程

1991-12-22
室蘭~上川 C0
1991-12-23
C0~清川~Co1040 C1
1991-12-24
C1~停滞 C2
1991-12-25
C2~Co1350 C3
1991-12-26
C3~ニセイカウシュッペ山~清川 下山

メンバー

C.L
いわした師匠
S.L
よねP
M
やまこしさん
レインマスター
しみず
ふ~ちゃん

~続きがあります~

  • 日記:180
  • 2013年04月08日(月) 14:03 更新
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  • 公開レベル 1

初めて雪洞に閉じ込められて

ふ~ちゃん

人生初の冬山である。天候に恵まれず、山頂に立つことは出来なかったが、雪洞の中で冬山の生活を堪能した。

~続きがあります~

  • 日記:174
  • 2013年04月08日(月) 14:02 更新
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  • 公開レベル 1

高根ヶ原に抱かれて

ふ~ちゃん

この山行は大学4年間で最高の山行と行っても過言ではないだろう。おそらく、この山行がなければ私がここまで山にハマることはなかったのではないか、また、もっと普通の人生を送っていたのではないだろうか・・・

~続きがあります~

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