中ノ川における東京理科大学ワンダーフォーゲル部遭難事故のまとめ

はじめに

この記事では、2010年08月15日(日)歴舟川水系中ノ川で発生した、東京理科大学ワンダーフォーゲル部の遭難事故について、考察するものである。なお、ここに書かれていることは、マスコミによる報道や、インターネットなどのに流された情報を全て事実と仮定してまとめられており、多分の予想や推測を含み、あるいは不正確な情報が含まれているかも知れません。正確な情報をお望みの方は、自らの責任において信頼出来る関係筋にお問い合わせください。

また、この記事は特に断り無く、随時加筆修正しています。最終更新日時は記事下部のキャプションに記されています。

事故の経緯

一行4人は2010年08月09日(月)から2010年08月21日(土)までの予定で、コイカクシュサツナイ川から入山し、稜線を縦走してペテガリ岳に至り、中ノ川を経由して、ピリカヌプリを目指す途中だった。

入山後、稜線で台風4号をやり過ごし、14日の午前10時頃にはペテガリ岳山頂にいるところを他の登山者に目撃されている。その後、事故現場までの行動は不明であるが、通常であれば4時間ほどで到着する行程に1日半かかっているため、何らかのトラブルがあったのかも知れない。

15日は中ノ川下降尾根を下り、同日午後6時頃中ノ川支六ノ沢上二股に至った。日没と雨天のため、付近の河原(一部中洲という報道がある)にテントを張ってビバーク。メンバーは増水に備えて靴を履いたままでいた。午後8時30分頃、テント内にいたところを4人全員鉄砲水に流された。内1名のAさんは自力で岸に上がった。

なお、計画ではここには2日前に到着しているはずだった。

翌16日、流された3名はAさんにそれぞれ確認され、岸に引き上げられたがいずれも息はなかったという。うち一名は再び川に流された。

更に翌17日の夕刻、自力で中ノ川林道まで下山したAさんが通行車両に助けを求め、警察に届け出た。

18日、ヘリによる捜索の結果3人の遺体が発見された。

事故現場

事故現場となった幕営地点は、中ノ川支六ノ沢 Co565 上二股付近。

幅5m深さ20cmの川から数m離れた河原とのこと。当初「中洲」という報道があったが、それは誤りであると思われる。二股の合流地点は右岸壁から左岸壁まで5mもないので、そこから100mほど下った少し幅の広くなった所と思われる。

山行計画(断片的な情報から)

08月09日
コイカクシュサツナイ川~Co640 上二股 C1
08月10日
C1~夏尾根~コイカクシュサツナイ岳ヤオロマップ岳 C2
08月11日
C2~1409コル C3
08月12日
C3~ルベツネ山~ペテガリCカール C4
08月13日
C4~ペテガリ岳~P1469~中ノ川下降尾根~中ノ川支六ノ沢 Co565 上二股 C5
08月14日
C5~中ノ川十字峡~中ノ川本流 Co531 奥二股 C6
08月15日
C6~神威岳北東面直登沢中ノ川支七ノ沢)~神威岳 C7
08月16日
C7~ソエマツ岳 C8
08月17日
C8~ヌビナイ川右股 Co790 上二股~ピリカヌプリ~南西尾根~Co574 三股 C9
08月18日
C9~添松林道~林道ゲート~浦河駅
08月19日~08月21日
予備日

パーティの構成

生還したAさんは4年生で同クラブの部長、死亡した3人の内3年生の1名がリーダーをつとめ、残りの2名は今年登山を始めたばかりだったという。

経験の浅いメンバーだが、いずれも体力があるためにこの計画に参加したらしい。

事故現場周辺の概要

中ノ川支六ノ沢(現場となった川)

現場となった二股の右股は日高でも最も困難なとして知られている。しかし、直接突き上げる有名峰が無いため、訪れる人はほとんど居ない。左股も右股ほどではない物の、上級者向けの沢である。ここまでのアプローチが長いことや、目標がどちらかと言えばマイナーな中ノ岳であること、遅くまで雪渓が残ることなどから、やはり遡行する人は少ない。中ノ川本流の十字峡から現場までは狭いゴルジュが続き、泳ぎと高巻きが連続する困難な沢である。これらのことから、中ノ川支六ノ沢は上級者用の沢とされ、遡行経験者は日高の沢に登り詰める者の中でも少ない。

しかし、上二股までは大きななどが無く、平水時に泳ぎ下るには非常に快適なとして知られている。泳ぐ覚悟さえしていれば、決して困難な下降ではない。そのため、ペテガリ岳から中ノ川下降尾根を経由して、この川を下るのは人気のルートの一つである。

現場付近

中ノ川支六ノ沢出合から源頭まで切り立った壁に囲まれた(北海道流に言うといわゆる)状のであり、安全な天場適地はない。日程の関係から、現場となった上二股周辺が良く天場として利用されるが、実際には崖際の小さな岩棚か、水際の砂浜にテントを張るしかない。

下降尾根(ペテガリ岳から現場まで)

下降尾根は明確な踏み跡はなく、下に行くほど尾根筋は不明瞭で非常に迷いやすい。順調に下れば4時間ほどで上二股にたどりつけるが、尾根筋をはずすと下部の谷は高く切り立っているため、直接降りることが出来ずに、何度も登り返して時間を食うこととなる。

考察

当日の気象条件

現場付近は11日から12日にかけて台風4号に関連した雨が100mm近く降っている。13日から15日朝にかけては晴天のため、ある程度減水していたかもしれないが、土中の水量は飽和状態であったと思われる。また、現場より上流は遅くまで雪渓の残るとして知られている。

そのような状況の中、事故発生時に周辺ではかなりの量の降雨があったらしい。いつ増水・鉄砲水が発生しても不思議ではない状況であった。

山行続行の判断

中には安全な場所がないため、降雨が予想される時、増水の可能性がある時はこの沢には降りないと言うのが鉄則である。道内大学の山岳系クラブであれば、当然この原則は知っているものと思われるが、道外の大学であったためにこのことを知らなかった可能性はある。

一行は事故発生当日まで尾根上にいたため、の様子を知り得なかったと思われる。また、ラジオや携帯電話から情報を得ていたかどうかは不明である。あるいは15日早朝にペテガリ岳を出発したとしても、順調にいけば当日中に中ノ川本流の安全な場所に至ることが可能であるため、雨が降り出す前に安全圏に到達出来ると判断したかも知れない。

ビバーク地点について

一行が現場に到着したのは18時である。普通なら一日の行動を終了する時刻をとうに過ぎているため、もっと早めに尾根上でビバークしていればこのような自体にはならなかったと思われるが、一行は既に台風の影響で2日遅れとなっていたため、日程オーバーを焦って現場に至ってしまったかも知れない。

また、「北海道の山と谷」や、2010年08月19日(木)の北海道新聞朝刊に載ったコメントでは、二股の200m下流に幕営可能なテラスがあると言うことだが、これは眉唾物である。過去に3度ここを訪れているが、いずれもそのような場所は確認できなかった。実際にそのような場所はあるのかも知れないが、非常に見つけにくい場所であると言うことだ。一行はこのような不正確な情報を元に、安全な天場を確保出来ると信じていたかも知れない。

事故発生前の様子について

一部報道で、幕営地はの「中洲」であると報じられているが、事故現場の沢幅は狭く、普段は中洲は存在しないはずである。もし「中洲」が事実だとすれば事故発生前の沢はむしろ減水していたと思われる。

数日前までに降雨がありながら減水していたとすれば、上流にダムが出来てそれが鉄砲水の原因となった可能性が考えられる。

山行計画について

計画は尾根縦走をメインに組まれているが、ペテガリ岳神威岳間のみ、事故現場となった中ノ川を経由することになっていた。藪の激しいペテガリ神威間の稜線を避けるだけなら、一般ルートである西尾根とニシュオマナイコースを利用すればよい。あえて中ノ川を選んだのは、日高の中でも特に面白いこのルートを堪能する目的があったのかも知れない。

また、今回の事故とは直接関係ないが、ピリカヌプリからの下山が、なぜかメジャーなヌビナイ川ではなく、マイナーなソエマツ林道となっている。ピリカヌプリからソエマツ林道へは尾根をたどり、わずかな河原歩きで林道に上がることが出来るが、林道は閉鎖されており、通行する人はほとんど無く、林道入口まで長い歩きが待っている。ヌビナイ川ゴルジュを避ける目的があったかも知れないが、中途で中ノ川を遡下降したパーティが、増水時のエスケープでもない限りあえてヌビナイ川を避ける必然性があるとは思えない。

以上のようなことから、この計画は日高の実情を知らない者が、過去の山行記録などを参考につなぎ合わせて出来た計画であると言う印象を受ける。つまり、部分部分は割と良くある計画でよく練られているが、全体を見るとちぐはぐな感じを受けるのである。

その他雑感

一行はペテガリ岳山頂にて、日程が押したために神威岳から中ノ川に下降してエスケープする算段をしているのを目撃されている。すなわち、神威岳北東面直登沢を下降するつもりだったらしい。このの下降は経験者であれば不可能ではないが、私の感覚からすれば登山を始めたばかりの者を2名もつれて、しかもエスケープという目的で下降するような沢ではない。エスケープが目的ならば夏道を通り日高側に降りればよい。このことからもパーティが日高の沢の厳しさを実像通り認識していたかどうか疑わしいという印象を受けた。

結局

事故現場周辺には安全な幕営地は存在しない。存在したとしても日没後に到着したのなら見つけようがない。

つまり、今回の事故は「なぜそんな危険な場所に張ったのか」が問題ではない。なぜ今回のような気象条件の時にこのに降りなければならなかったのかが問題なのである。

推定される事故の要因

以上のような考察から推定される事故の要因を列挙する。これらはあくまで筆者の憶測です。

  1. このに下降するにあたって、その前後に降雨がないことを確認してから下降するという取り決めがされてなかった。(計画段階の不備)
  2. そもそも増水時のこのの危険性を認識していなかった。(無知、下調べの不足)
  3. 下降尾根への下降直前に、ラジオや携帯電話で天気予報の確認を怠った。(怠慢)
  4. 悪天は予想していたが、増水前に安全地帯に抜けられると判断した。(判断ミス)
  5. 下降尾根の下降に予想以上に時間がかかり、予定時間までに安全地帯に抜けられなかった。(技術的・体力的問題)
  6. 降雨の可能性を知りながら現場に予定通り幕営した。(無謀)
  7. 台風通過などで停滞し、日程的に遅れていたため危険を承知で先を急いだ。(焦り)
  8. 上二股には降雨時でも安全な天場があると信じていた。(誤解、情報不足)
  9. 一般的な行動可能時間を過ぎながら、無理に予定天場である現場に降りた。(判断の遅れ)
  10. 長期に渡って尾根上にいたため、の現況を確認出来なかった。そのため、沢に下降するか否かの判断材料の一つが欠けていた。(計画段階での想定不足)
  11. リーダーよりも年長で、部長であるメンバーがいたため、リーダーが気を使って中止や撤退の決定を出来なかった。(心理的プレッシャー)

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