珊内岳で能面化する

ふ~ちゃん
目的
夏合宿 余別川51点沢遡行
日程
1991年07月29日(月) - 08月01日(木)
山域
積丹山塊

その後、何度となく遡行することになる余別川の初遡行である。

行程

1991-07-28
休養日
1991-07-29
余別~余別川51点沢Co340 C1
1991-07-30
C1~51点左股~珊内岳~122点沢~122点沢出合 C2
1991-07-31
C2~エコー出合 C3
1991-08-01
C3~余別 下山

メンバー

C.L
レインマスター
S.L
いわした師匠
M
ふ~ちゃん

1991年07月28日(日)

伊佐内の終了後、室蘭には帰らずに、そのまま予備山行第2弾に突入する。入山前日は休養をとって海岸で過ごす。ジンギスカンやらスイカやら喰いまくる。

かわはらさんは、いろいろと買い出しなどつきあってもらったあと、我々を入山地点に残置した後、帰還していった。

1991年07月29日(月)

タイムレコード
時刻場所行動
03:00起床
04:00出発
05:15入渓
06:00Co130
07:00Co160
07:45Co180
08:1551点
12:5025mのの上
13:10Co340C1

第1ので、いわしたさんが、皮肉っぽくにやりと笑い、「泳げ」という。彼は、私がカナヅチだということを知っているのだ。言われるがままに、突入するが、水流に阻まれて、前進しない。水というものになれていない私は、手足がバラバラ、焦って進もうとしても、その場でくるくると回転するばかりである。当時は必至であったが、その後、私も同様の仕打ちを後輩達に対して行う。しかし、こういうしごきは必要である。と私は思う。

時間が余りそうなので、51点出合でナニをする。いわしたさんが、見たこともないようなものをゲット。歓声を上げる。

51点は、地形図上の記号まで問題なし。函記号から現れるはみな快適に直登していく。壺に飛び込んだり、無理矢理シャワークライムしたり、楽しみながら進む。函記号最後の25m滝は左岸を巻く。

すぐに天場着となり、幕営。じめじめして不快な天場。食いきれない食料をなんとか平らげる。

1991年07月30日(火)

タイムレコード
時刻場所行動
04:00起床
05:05出発
06:05Co420
07:30Co550
08:30Co850
09:50藪漕ぎ
10:45珊内岳
12:40122点
17:00122点出合C2

快晴の中を出発。天場を出てすぐCo350付近の左岸を巻く。Co380二股からCo400二股間の2つの右岸からまとめて巻く。降り口がなく、アプザイレンで降りる。すぐにCo400二股。Co400二股は天場に適している。Co500の40m大滝まで河原

40m大滝右岸を木登りしながら巻く。高度感はぴかいちだ。Co550、Co580に現れるは快適に直登する。この後はこれといったものもなく、Co850二股。このを右にとると、後はほとんど藪漕ぎもなくピークに着く予定であったが、おそらくどこかで一本入り間違ったのでしょう、きっちり1時間半の藪漕ぎを強いられる。

ピークからは真っ青な海が一望出来る。しばしの昼寝の後、122点を目指す。しかし、下りとはいえ、南中時の藪漕ぎはあまりに過酷。ジリジリとした太陽が疲れ切った体にはあまりにもキツい。ようやく沢に出ても、アプザイレンの連続で時間を費やし、予定のエコーまではたどり着けず、122点沢出合での幕営となった。

1991年07月31日(水)

タイムレコード
時刻場所行動
09:00起床
11:00出発
12:20エコー出合C3

昨日の疲れもあってか、エコーを詰めるのは無理だろうということで、今日は下ノ廊下下りだけののんびり行程。

のんびり起床し、昼近くになってから下ノ廊下をドンブラコと流される。初のゴルジュ下り。これは癖になる。

1991年08月01日(木)

タイムレコード
時刻場所行動
09:40出発
10:35Co160
11:25Co130
12:00林道下山

本日はエコーを詰める予定であったが、なんと、いわしたさんの右腕が腫れているではないか。軽度の腱鞘炎らしい。これ以上の山行の続行は不可能ということで、そのまま余別に下山することになる。

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