夕張山地全山縦走

ふ~ちゃん
目的
夕張山地全山縦走
日程
1995年12月09日(土) - 19日(火)
山域
夕張山地

行程

1995-12-09
苫小牧~富良野スキー場 C0
1995-12-10
C0~北の峰~Co1170コル C1
1995-12-11
C1~富良野西岳松籟山~極楽平~御茶々岳~Co1202コル C2
1995-12-12
C2~Co1440 C3
1995-12-13
C3 停滞 C4
1995-12-14
C4 停滞 C5
1995-12-15
C5~芦別岳鉢盛山~Co1200 C6
1995-12-16
C6~P1327~P1303~Co1250コル C7
1995-12-17
C7~P1290~Co1420 C8
1995-12-18
C8~ガマ岩~夕張山荘 C9
1995-12-19
C9~

地形

1995年12月09日(土) 苫小牧~富良野

当初は、山脈最北端の島ノ下から登るつもりだったが、今年はまだ雪が少なく、ブッシュがかなり出ているようなので、スキー場を利用して登ることにする。スキー場の駐車場に幕営

1995年12月10日(日) 富良野スキー場~北の峰

タイムレコード
時刻天候場所行動
06:10起床
07:30出発
11:45北の峰
14:00Co1170コルC1

雪が少ないので、ツボ足、シートラで登り始める。スキー場には誰も居ないのに、有線の音楽だけが流れている。中腹でスキーを着ける。久々のラッセルはなかなかこたえる。稜線に出てから少し行ったところのポコに「北の峰1,209m」という、地形図からすると全く見当違いの看板が立っていた。その場所は北の峰でないばかりか、標高も1000mちょっとしかない。まぁ、そういうことから言えば、北の峰から遠い方が北の峰ゴンドラで、近い方が富良野ゴンドラというのも変な話だ。そのへんから、富良野ゴンドラ側のスキー場とスキーヤー達が見え始める。

地形図上の北の峰のピークには、リフトがのびていて、人がたくさん居てちょっと恥ずかしい。予定天場はここだが、時間もあるので、西岳手前のコルまで進めることにする。ところで、この日、行動中に胸に忍ばせていた無線機のスイッチが入ってしまったらしく、電池をすべて消耗しきってしまって、無線機が使えなくなってしまった。更に、冬山には必需品のタワシを忘れたことに気づく。しかし、これはこの山行に置いては小さな事だ。

1995年12月11日(月) 富良野西岳御茶々岳

タイムレコード
時刻天候場所行動
06:00起床
07:00出発
08:10富良野西岳
09:50布部岳直下
12:05松籟山
12:50極楽平
14:00御茶々岳
14:30Co1202コルC2

西岳直下は壁になっていて、直登は無理である。傾斜の緩いところを選んで小鞍部に出てそこにザックをデポしてピークにアタックする。東側に雪庇が発達している。そのまま稜線をまっすぐ下りるつもりだったが、急で下が見えない。登ってきたところから下り、西側をトラバースして台地に出る。この台地は気持ちの良いところだ。台地からトラバースを繰り返しながら、布部岳基部に出る。

布部岳は登るかどうか迷ったが、天気も悪くなってきたし、登り口がよく分からんし、ピークも遠いので、面倒くさくなってカットしてしまう。松籟山は手前のポコザックをデポしてピークアタックする。天気は吹雪。直下は急斜面でスキーでは登れず、シーデポしてツボ足にする。極楽平は確かに広いが、それほど気持ちいいところでもない。読図はやや難しい。

御茶々岳では風もなく、ガスがかかっていたので、真っ白で静かな世界だった。一応、ピークには立ったつもりだが、広くて結局どこがピークかわからなかった。コルへの下りは急で、雪崩の起きそうな斜面。最低コルに幕営

1995年12月12日(火) 芦別岳北稜

タイムレコード
時刻天候場所行動
06:00起床
07:30出発
09:45Co1440C3

天気予報を聞いて、停滞にするつもりだったが、朝起きると晴天。意気込んで出発する。コルよりも上の方にも良い天場はいっぱいある。途中の急斜面はスキーでは滑るし、ツボ足ではぬかるしで苦労する。上に行くに連れて天気が悪くなってきて、風も出てきたので、ギリギリ天張れる所まで上がって、幕営する。かなり標高の高い稜線上だったので、ブロックを高く積み上げるが、この天場では相当苦労することとなる。

1995年12月13日(水) 停滞

吹雪。テントが半分埋まっている。朝飯の前に除雪をすると、空腹のあまりめまいがする。今後のためにおやつは出来るだけ取っておこうと我慢するが、耐えきれずにパンをたいらげてしまう。雉撃ちに行っていないせいか、寝る前に腹が痛くなる。ブスコバンを飲んで寝たら、一応直ったようだ。

1995年12月14日(木) 停滞二日目

ガスが濃い。本日も停滞。余していた行動食を食べて除雪をする。テントは半分以上埋まっている。直下の斜面の雪は厚みを増しているようだ。スベアに鍋をかけるとどうやら灯油が不完全燃焼を起こすらしく、目がしばしばして呼吸が苦しくなる。明日はどうやら低気圧が通過するらしい。

1995年12月15日(金) 芦別岳鉢盛山

タイムレコード
時刻天候場所行動
05:00起床
07:00出発
10:05芦別岳
11:25ポントナシベツ岳
14:25鉢盛山
14:55Co1200C6

精神的にもう停滞は限界なので、先に進むにもエスケープするにもとにかく行動しようと気合いを入れて起床。空は曇り、風はない。昨日の天気図からすれば、低気圧が通過中のはず。疑似晴天かもしれないが、1時間で悪くなるようなら引き返せばいいし、3時間もてば芦別はこえられるはずと、芦別へ向けて出発する。

停滞のうっぷんがたまっていたのか、快調に進む。キレットへの降り口で気合いを入れてE.Pにかえる。しかし、キレットは確かに急に下がって上がっているが、底部は広くて怖くも何ともない。天場さえ作れそうだ。稜線はポコをひとつ越えるたびに細くなっていき、気が引き締まる。進むルート上にユキウサギの足跡が点々と続いている。サボテン岩の手前で休憩をしていると、ちょうど太陽が芦別岳の頂上にかかり、後ろの雲の上には私のブロッケンが現れた。こういうのを見るとなんだかたのしくなってくる。

芦別岳[image/jpeg:85kB]
芦別岳

サボテン岩の改札口は(この改札口のところがいわゆるサボテン岩というものなのだと思うけど、違ったらごめんなさい。)まさしく改札口で、というよりも、「これから芦別岳へ行こうとせん物はここを通るべし。」といった、関所と言った方がふさわしいような感じさえする。ウサギの足跡さえもこの関所を通過している。

ピーク手前のポコザックをデポして、空身で芦別岳へアタックする。南側をトラバースしてピークへ。ピークの東側は広い斜面に雪がべったりと付いて、今にも雪崩れそうである。ピークは岩一つ分の広さで、何人も立つことは出来ない。ピークに立つとタイミング良く、西の空に雲がかかり始めたので、急いでデポへ戻る。

スキーに履き替え南下するが、ポントナシベツ岳周辺も部分的に細く、たまにスキーを外してツボで歩く。ポントナシベツ岳からの下りは東よりの斜面がすばらしい雪質でたのしい。しかし、ポントナシベツ川に降りるわけには行かないので、適当なところで西側に戻る。雪崩には要注意である。その先の稜線は岩峰になっていて、稜線上を行くのはキツそうなので、から巻くことにする。

鉢盛山はやはり広くて、どこがピークだか分からない。下りはスキーは出来るが、ややヤブが多めで、楽しめない。途中、ヤブにハマって、転倒してストックを折ってしまう。曲がったストックを、今折れるか、今折れるかと思って使い続けてきたが、ついに折れてしまった。もっとしたまで降りるつもりだったが、ストックがなくては滑りにくくてしょうがないので、適当に広いところに天張る。ストックは幸いにも、テントポール用の補修材と、布テープの応急処置でなんとか最後まで続けることが出来た。

1995年12月16日(土) 遠い夕張岳

タイムレコード
時刻天候場所行動
05:00起床
07:00出発
14:55Co1250コルC7

天気は悪いが、この先はこれといったイベントがないので、出来ればガンガン進みたい。しかし、今日は視界が悪く、平坦な地形ばかりなので読図が難しく、その上、雪が膝近くまであり、ラッセルが厳しくてなかなか思うように進まない。出来るだけ夕張岳まで近づきたかったが、結局予定天場までしか進めなかった。

そして・・・

この夜、ラジオでは南空知に 大雪警報 が発令されたことを伝えていた。

1995年12月17日(日) 超ラッセル

タイムレコード
時刻天候場所行動
05:00起床
07:00出発
14:05Co1340
15:20地吹雪Co1420C8
夕張山地 埋没寸前のテント[image/jpeg:53kB]
夕張山地 埋没寸前のテント

朝、テントが半分埋まっている。風はやみ、穏やかな朝だが、どうもおかしな雰囲気が漂っている。その理由は出発してすぐに分かる。明からに雪は昨日よりも深くなり、膝上ラッセルどころか、腰までラッセル当たり前、時には胸まで雪に埋まってしまう。振り向くと、トレースが50cm以上の溝になっている。いつもならば1時間もあれば余裕で越えてしまうであろう、標高70mほどのポコを越えるのに2時間半もかかってしまう。

岳の地形図に入る手前の岩記号の岩塔は迷ったあげく、傾斜が緩くてヤブの薄い東側を選ぶが、これも裏目に出てしまう。ちょうど、巻きを始めたところでパァっと青空が広がり、夕張岳が目前に見えてくる。夕張岳を目の前にして意気揚々と突進するが、気持ちは前に進めども体はちっとも進まない。速く進もうともがけばもがくほど、雪の中に埋没していく感じだ。結局ここの巻きは西側が正しかったようだ。

やっとの思いで主稜線に戻り、目の前の雪の壁を崩しながらラッセルしてポコを一つ越え、半分あきらめたような気持ちで大きな岩塔を西側から巻いた頃、再び天気は悪くなってきた。夕張岳直下の稜線に取り付くと、ようやく普通に歩ける程度の積雪になってくるが、その分風が増してくる。とにかく、少しでも先に進めたかったので、吹きっさらしのウィンドクラストの台地に気合いで天張る。

1995年12月18日(月) 必死のエスケープ

タイムレコード
時刻天候場所行動
05:00起床
06:40出発
15:40夕張山荘C9

酷い地吹雪で完全なホワイトアウト状態。数10mしか視界が効かない。普通なら、余裕で停滞だが、こんな所にいつまでもいたくないし、日数がかさみ、今日中に山荘まで行っていないと、まずいことになるかもしれない。コンパスと天性(?)の感と長年(??)の経験を頼りに進んでいく。しかし、風雪があまりにも酷いため、シールをつける時に粘着面に雪が付着してしまい、いきなり片方のシールが使えなくなってしまう。それでも気合いで、時には気が付くと180度逆の方向に歩いていたりしながらも(いや、まじで)、手探り状態でP1487まで上がり、そこからコンパスを切って、ブリっとガマ岩へ出る。

ガマ岩に出た時は現在位置が確認出来て、ほっと胸をなで下ろす。しかし、真の恐怖はこの先にあるのだった。稜線上はウィンドクラストと平坦な地形で、視界も効くようになったので、安心して進んでいく。しかし、前岳を巻くために稜線をはずれたとたん、視界は効かなくなり、雪は深く、シールは片足しか使い物にならないので、なかなか先に進めない。前岳直下の斜面では、現在地がつかめずパニックになりかけるが、運を天に任せるつもりで現在位置を定める。この時の判断が正しかったから良かったが、もし違っていたらどうなっていたことか・・・考えないことにしよう。というか、この辺りはいつ、雪崩の直撃を受けてもおかしくなかったなぁ。生きてて良かった(苦笑)。

とにかく、そんな状況で、前岳の巻きは酷い急斜面の上に、雪がべっとり付いて、しかもそれが降りたてほやほやなものだから、積雪は不安定で、ダケカンバのトラップにひっかかってひっくり返ったりする物だから、ラッセルすれどもすれども遅々として前に進まない。それでも、こんな時、人間とは妙に冷静なもので、これがもしもアンドレだったら、とっくに諦めてのたれ死んでるかもなぁみたいなことを考えながら黙々とラッセルを続ける。

トラップにひっかかった時に、シールがはずれてついに両方のシールが使い物にならなくなる。ビニールテープでスキーに巻き付けて応急処置をするが、片足はすぐにはずれてしまった。そうこうしていると、出発から6時間してようやく前岳乗り越しのコルにたどり着く。そこから先も雪は深く、馬の背に向けてトラバースしながら滑っていくが、何しろシールがないものだから、馬の背に着く前にCo1000付近の急斜面に出てしまう。

この斜面はあまりにも急で、雪崩が怖いのでさすがの私もここを降りるのには躊躇する。覚悟を決めて、気合いでこの急斜面をトラバースしてなんとか馬の背に出る。P924手前で、冷水の方へ降りてヒュッテを目指す。全身べちょべちょになり、日が暮れ始めた頃、沢の向こう側にヒュッテが見える。この夜は装備をヒュッテの中に広げて、ストーブの火を絶やさないように2時間置きに目を覚ます。

1995年12月19日(火) 林道歩き

タイムレコード
時刻天候場所行動
05:00起床
07:00出発
13:20最終人家下山

今日は何キロあるか分からない林道を歩かなくてはいけない。ストーブの火が消えたことを確認して出発。

皮肉にも、今日は天気が良く、昨日私を苦しませた前岳の姿もよく見える。林道の下りは、新雪で平坦なので、スキーは滑らず、思うように距離は稼げず、今夜はもう1泊しなくてはならないかなと覚悟し始めた頃、ようやく最終人家にたどり着いた。

そこのおじさんに聞くと、5キロも行けばバス停があるというので、更に歩いていくが、いけどもバス停が見つからない。どうやら見落としたようだ。仕方がないので、ヒッチをして清水の駅まで送ってもらう。乗せてくれたおじさんの話によると、この時期はガマ岩から南の沢にルートがあるらしいとのことだった。

Usertime : 0.08 / Systemtime : 0.09