初めての積雪期の日高山脈だったが、山中でパーティ内に風邪が蔓延し、山行を楽しむどころではなかった。予定ではオダッシュ山までだったが、ペケレベツ岳からのエスケープとなった。
行程
メンバー
1992年01月03日(金) 芽室山荘
時刻 | 場所 | 行動 |
---|---|---|
18:30 | 芽室山荘 | C0 |
御影駅からタクシーで林道入口へ行き、芽室山荘を目指した。芽室山荘はこぢんまりした小屋ながら、綺麗で快適だった。
しかし、記録上C0となっているが、これだけ歩いたら、C1でも良いんじゃないだろうか。
1992年01月04日(土) 芽室山荘~芽室岳
- 距離
- 3.7km
- 沿面距離
- 3.9km
- 標高差
- 1060m
- 累計標高
- 1060-0m
- 平均速度
- 0.6km/h
時刻 | 場所 | 行動 |
---|---|---|
05:30 | 起床 | |
07:30 | 出発 | |
08:45 | Co900 | |
10:55 | Co1030 | |
11:35 | Co1360 | |
14:05 | Co1690直下 | C1 |
雪が少なく、ツボ足でスキーを担いでいく。スキーが使えるようになってからも、ラッセルがキツく、ペースがあがらない。予定天場までは行けそうにないので、 P1690 直下の斜面を切り崩し、少々強引に幕営した。
こんな所に天張ってだいじょうぶだろうか。少々不安が残る。
1992年01月05日(日) 病人停滞
時刻 | 場所 | 行動 |
---|---|---|
終日停滞 | C2 |
朝起きると、レインマスターよねばやしさんが、ゲロゲロと吐く。かなりの重傷。黄色い胃液まで吐き始める。これでは行動出来るわけもない。停滞。この先どうなるんだろう。
1992年01月06日(月) 芽室岳
- 距離
- 3.4km
- 沿面距離
- 3.5km
- 標高差
- -364m
- 累計標高
- 223-5879m
- 平均速度
- 0.9km/h
時刻 | 場所 | 行動 |
---|---|---|
05:30 | 起床 | |
07:50 | 再起床 | |
09:10 | 出発 | |
09:40 | 芽室岳 | |
10:50 | C1地点 | 回収 |
13:00 | P1318コル | C3 |
よねばやしさんは体調は良くないものの、何とか行動出来るというので、ピークアタック。快晴のピークからは南に延びる日高の嶺嶺がよく見える。大満足で天場を撤収。豪快な斜面を絶叫しながら滑って北上。
この日の夕食が多すぎ、残す。明日の朝に持ち越されることに。う~ん。
1992年01月07日(火)
- 距離
- 7.5km
- 沿面距離
- 7.7km
- 標高差
- 38m
- 累計標高
- 699-661m
- 平均速度
- 1.2km/h
時刻 | 場所 | 行動 |
---|---|---|
05:30 | 起床 | |
07:25 | 出発 | |
08:40 | P1643 | |
13:15 | P1458 | |
13:45 | ペケレベツ岳手前コル | C4 |
前日の余り物のご飯になにやら汁ものをぶっかけオジヤ。んー。人の喰いモンジャねぇ。残る。しかし、何の因果か、エッセン長の私が食い尽くすことに。ぉぇ~
快晴の中、所々鬱陶しいハイマツを踏みつけつつ、快調に北上。ペケレベツ岳手前に幕営。
よねばやしさんは復活してきたようだ。しかし、今度は私に風邪が移ってしまったらしく、食べたものをすべて吐き出す。胃液さえも吐き尽くし、テント周辺が黄色く染まる。やむを得ず、明日エスケープが決定する。
1992年01月08日(水) ペケレベツ岳エスケープ
- 距離
- 4.0km
- 沿面距離
- 4.2km
- 標高差
- -545m
- 累計標高
- 214-759m
- 平均速度
- 0.9km/h
時刻 | 場所 | 行動 |
---|---|---|
06:30 | 起床 | |
07:20 | 出発 | |
10:10 | P1343 | |
11:55 | 国道 | 下山 |
ペケレベツ岳登山道に沿ってエスケープすることにする。よねばやしさんは完全復活のようだが、その分、天気は最悪(苦笑)。吹雪の中手探りで下を目指す。私は意識朦朧で、ふらふらしながら着いていく。
国道に出て、除雪基地で電話を借り、タクシーを呼ぶ。なぜか下山とともに体調は復活してきた。